サポーターとはなんなのか。
全国◯万人のマリノスサポーターのみなさん、こんにちは。
マリノスサポーター歴1◯年のパンダことブログ主a.k.aなつです。
ちなみにトリコロールメンバーズは3万人ちょっといるみたいですね。
ラルヲタは全世界20万人という例えがよく出ますが。
さて、今日はスタジアムにいるサポーターと呼ばれる人々の話。とんでもなく長文だからスタジアム迄の移動時間全部費やすぐらいの気持ちで読み始めて頂きたいw
サポーターという存在は一体なんなのか。きっと辞書とかgoogleに聞いたら「追っかけ、熱狂的なファン」とかそういった言葉で表されるんだろうと思う。
もちろんそういった側面もあるわけだし、ファンでもあるわけだがやっぱりそうやって括られると何か違う、と感じる人もきっといるはず。
サポーターはピッチと一緒に戦っている。とかよく聞く言葉ではあるけれど、結局のところサポーターがチームを勝利させることなんてできないんですよ。
実際問題、1点決めることも、勝ち点3を得る事も我々にはできない。
我々は「勝利を共に喜ぶ事を許された存在」であって、勝利するのも我々ではない。
唯一我々がクラブの為に出来ることといえば「興行的に成功させること」だけです。もしくは利益につながる行動を起こすこと。ブランドの価値を高めること。などなど。
例えばポス活。
マリノスサポーターは有志で近隣商店街等に出向きマリノスのポスターを貼らせてもらう活動をしてますよね。もう何年も。
伝統的なJリーグのクラブの部類に入る割に少数運営でおなじみ横浜マリノス株式会社さんなので、あれだけの数の店舗に個々に挨拶に行ってポスターを貼らせてもらうって正直言って難しい。これは地味ながらかなりのマンパワーをクラブの為に使えている最もたるものだと思います。おまけに無償で。
今、クラブが力をいれているSNS、沸騰プロジェクトなんかもある意味このマンパワーの部類だと言えますね。人のクチコミ力でマリノスの、スタジアムの魅力を伝える。目的は新規顧客を掴むこととリピーターを増やすこと。
選手自らもそれを担ってやっています。マリノスくるとまずインスタアカウントを作らされますからw(本当にやらされてるかは不明ですけどw)
例えばオフィシャルグッズの購入。
当ブログ、音楽とサッカーの事しかほぼ書いてないのでアーティスト物販の大切さと並列してこれは言っていかないといけないと思うんですが、運営サイドに直接的に課金する方法は主に「チケットを買う」「グッズを買う」この2つです。
サッカーの場合はこれ以外に会社をお持ちの方ならスポンサー等になるという手段もありますね。アーティストの場合はCDとか、チェキとか。
私のような低所得サポーターは年チケと年に少しのグッズ購入でやっとなわけですが、地方在住のサポーターの方なんかは行けない分、実はめちゃくちゃグッズもユニも買ってて、直接クラブ課金額はコアサポ以上なんて人も実はいるかもしれません。
それと毎年メインの年チケを書い続け、スタジアムに足を運んでいる方々。
コアサポと言われる人種はもちろん全試合に赴き、応援しているなんて人もザラにいるわけですが、マリノスの年間チケット最上位席SSSと最安席サポーターズシートの価格差は77000円ですので、それに追いつこうと思ったらとりあえずユニフォーム4枚は買わないといけないですよね。
これは企業において最も重要な金の話ですよ。ついでにいうとアーティストは個人事業主です。
人と金。これがファン、サポーターがクラブに落とし込めるものとして重要なファクター2つです。3万人のトリコロールメンバーズ全員が友達1人つれて日産スタジアムにくれば、計算上ほぼ満員になりますね。正確にはあと1万人ぐらい入りますけど。でけぇな日産スタジアム。
さてそれでは応援はどうだ?という本題へ移ります。
これはサポーターに一生つきまとうテーマかもしれません。直接的に働くマンパワーかと言ったらそうじゃない。そして金になる活動かといえばそれも違う。
人々は何のために応援するのか。(哲学っぽい)
ここから私の考え、そして仮説が並びます。そうじゃないと思う人、大げさだと思う人もいるかもしれないけれど、もし最後まで読んで何か感じたのであれば一緒に蒲田で餃子食いに行きましょう。
ちなみにここで言うサポーターとは
【=試合中、声や手拍子等で選手を後押ししようと行動する人】
のことである。
その度合いは人それぞれだろうし、バクスタでも手拍子やチャントを歌う人はいるので普段いる場所も様々だと思うが、ただただ試合の戦況を見つめる人の事は今回は申し訳ないが当てはまらないかもしれない。
自分がサポーターなのかどうなのか悩んでしまう人もいるかと思うが、今回はそういう人達を限定的にサポーターと呼んでいる、と割り切ってもらっても構わない。
そして自身の試合中の行動や考え、気持ちの動き等を思い返して読んでみて欲しい。
「自分たちの応援がチームを勝たせた」
もしそう思っている人がいるとしたら、実に傲慢だと思う。
お前がいなくたってチームは勝つよ。ぶっちゃげ。
能力、それと時の運で試合の勝敗は決まるし、無観客試合だって勝敗は決まる。
じゃあ選手は何のために戦うのか?
プロスポーツ選手なんだから、もちろん金の為。それから自分の夢の為。W杯、オリンピック、日本代表、海外リーグetc…。まぁ本人は色々あるよね。まず第一に仕事だし。
応援してくれるお客さんの為?そりゃあ客いなかったらプロスポーツ成り立たないからね。でもそれ逆にアマチュアスポーツで頑張ってる人達はじゃあなんの為にやってんの?って話になる。ある程度応援してくれる人はいるはずだけど。
これはミュージシャン、アーティストだって一緒。客いなかったら、ファンいなかったら直接収入にならないことが多いけど、音楽作ってれば、演奏していれば、上手い人はファンが居なくたって金を稼ぐことはできるんだ。人前に出てこないけどそうやってミュージシャンやってる人は沢山いるからね。
じゃあ極論、応援なんていらないんじゃないか?というところにぶつかると思うんだけどこの答えは紛れもなくYESだと思う。つまりなくても良いことをやってるんだよ我々は。
では今度逆にこれを読んでるあなたへの質問。
Q:「なぜあなたは目の前のチームを応援するのか?」
この答えは簡単でしょ。
A:「好きだから」
言葉を変えれば、あなたは「好き」である気持ちを伝えようとする表現者なわけです。
はい、ここで早速結論行きますよ。
【応援とは求愛行動である。】
あなたが好きだから。
あなたに勝って欲しいから。
あなたに好きになって欲しいから。
あなた、とはこの場合もちろんチームのことです。あるいは一選手かもしれない。
最後にひとつだけ欲を出しました。
きっとこう言ってくれたら嬉しいはずなんです。
「いつもこんなに応援してくれるサポーターの為に優勝したい」
「優勝できたのは応援してくれたサポーターのおかげです」
「サポーターの声のおかげで、最後まで諦めずに戦えました」
勝利はあなたの求愛行動を肯定してくれる唯一の方法。
人間は誰かに必要とされたい生き物だ。
まぁでもたぶんいるよ、こういう奴も。
「サポーターの為?人の為にやるのかプロのくせに」
「サポーターの為に勝つより、もっと面白い試合見せろよ」
そういう人たちには昔、岡田武史氏が語った言葉を送りたい。
「サポーターはチームとともに闘うなかで 感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う」
ファンには金を払ってる分の満足度が必要なのだ。
「盲目ファンと老害ヲタク」なんてつい最近もツイッターでバズってましたが、そりゃあ好きだ、好きだって金払ってくれる奴のが大事に決まってるじゃん。人気商売だよ、ミュージシャンもプロスポーツも。目に見える応援行動なんか無くたって、金さえ出していればその道は続いていくし、あとは本人の意思とモチベーション次第。
勝敗のない分野においては本人の意思が限りなく強くて高い人には極論金さえあれば成り立つのではないかと思う。最近もあるDJの方が「応援はいいからCD買ってくれ」といった発言してましたね。画家さんとか芸術家という人物はそういうのの極みかなと思って。とはいえ、誰かに見てもらいたくてやっているから人気商売は続けられる。
好きな作品を作る人間に金を払いつづける。つまりパトロンも必要な存在だと思う。
しかし応援とはただの求愛行動に過ぎない。そう考えると話は簡単。
90分飛び跳ねようが、めちゃくちゃ声を出し続けようが、それがその人が選んだ表現方法の1つである。
ゴール裏に長くいる人はわかると思うが、たまにその表現方法がやたらとカッコいい人が出てくる。声がでかい人であったり、太鼓がやたら正確な人であったり、弾幕のデザインが出来る人であったり、チャントの歌詞が書ける人あったり。カリスマ性、才能と呼ばれるものは周りの人々を惹きつける。他にやる人がいないうちは「出来る」というだけで人はついてくるとも言えるけれども。
そして、結果的にこの答えに辿り着く。
サポーターとはアーティストである。
一人一人、気付いてないだけでその存在は表現者そのものである。
だからエゴはぶつかるし、ピッチの上にいる人間に愛されたいと願う。
我々がアーティストだとして、その報酬は「勝利」そして「感動」である。
そして「こんなに好きなんだから、その気持ちに応えてくれるはずだ」そう思った時にこの関係性は終わるだろう。
さて、この長い仮説を読んでくれているあなたに考えてみて欲しいことがある。
「自分が表現者であると自覚した今、何がしたいか?」
きっとその想像力と探究心はスタジアムの景色をより素晴らしいものに導いてくれると思う。考えよう、もっと。
あなたが持った「好きだ」という気持ちをもっと存分に表現していって欲しい。既存の道や、過去にとらわれることなく、自由に描いて欲しい。
人それぞれルーツがある。憧れもあるだろう。でもそれがあるからこそ自身のスタイルが生まれるのだから、インプットも大事にして欲しいと思う。
表現者として必要なのはその愛と、同じ物を愛する他者へのリスペクトと思いやりぐらいだろう。時にはぶつかる事もあるかもしれないが、それさえ忘れなければきっと未来は開けると思う。
それから、クラブという企業を支えるユーザーであるという大事なことも忘れずに。
昔あるゴスペルシンガーの方に言われた言葉がある。
「将来の夢がシンガーというのはありえないわね。人は産まれた時から既にシンガーだから。」
サポーターであることは目的じゃない。スタジアムで何をするかだ。
そしてその表現する人達の事を誰かがサポーターと呼ぶのだろう。
さぁどうでした?誰も今まで突き詰めた事の無い結論に落ち着いたでしょう?w
長々と読んで頂きありがとうございました。
最後に私が世界一愛しているシンガーの曲から引用して終わりたいと思います。
ヲタクはすぐに推しの話ねじ込むからね!!!!!!!
それでは、またスタジアムで。
共に生きていくことは楽しくて でも時に辛くて 傷は絶えなくて
痛みを抱えながらそれでも笑えるって信じて
「大好き」なはずなのに
「大嫌い」に簡単に裏返っちゃう
その気持ちの名前がたぶん「愛」って云うんだと思います
ASH DA HERO [HERO(Acoustic ver.)]
※ライン録音と映像が若干ズレてるとこありますが気にせずに…