とりこぱんだツーリスト

マリノスサポーターっぽい人の遠征とライブのログ

気が済むまで書き続けたらこうなった。





松田直樹が好きだ。


大好きだった彼は永い眠りについた。
最期まで本当に勝手だ。最期まで本当に心配させやがった。

亡くなったと聴いた瞬間、考えたくも無かったけど、
でもどこか、安心してしまった。
あんなに戻ってきて欲しかったのに、どうしてだろうね。




私は松田直樹が好きだ。

マリサポだからという理由を抜きにしても、
松田直樹が好きだ。

マリサポだからという理由を抜きにしても、
私の周りには松田直樹ファンが沢山いる。


天の邪鬼だから、私は人に「松田直樹のファンです」とは言ったことがない。
だから変わりにこう答える。

栗原勇蔵のファンです」と。

少々言い方は悪いが、松田直樹ありきで勇蔵ファンなのだ。

いつか彼には 3 を背負って欲しかったからだ。そういう夢。
その期待を込めて、松田直樹ではなく、勇蔵のファンだと。


マツが引退したら、あの背中のゼロが無くなるだろう・・・
マツが引退したら、あの背中の数字は一つ少なくなるだろう・・・
そしてその頃には新しい3番を狙う誰かがここにはいるのだろう。

けど、もしかしたらずっと松田の3番は空かないかもしれないとも思った。
しぶとくしぶとく、そこに居座り続けるんじゃないかと。
勇蔵じゃなくて次の誰かがつけるかもな、それもまた・・・。



そんな夢があった。

マリノスが好きな人だったら、こんなことの一つや二つ妄想するでしょ。

そんな夢が、あの日を境に一つ遠回りすることとなってしまった。



”いつかまた横浜に松田直樹を迎える”

という夢?目標?誓いかな。
3番はそれまで誰がつけることも認めたくなかったから。

たかがサポーター、ファンが何言ってんだと思うかもしれないが、

「うるせー!お前にはわかんねーよ!」

とだけお返しする。



彼はJではなくJFLを選んだ。
都合の良い言い方をすれば「選んでくれた」のだと思う。

本当にサッカーのためだけに松本へ向かった彼は、
似合わない緑のユニフォームに身を包んでいた。

私は彼の姿を追うのを辞めた。


そして彼を横浜へまたいつか迎えたいと、
「おかえり」っていう為には、降格争いか、優勝しかないと思った。
むしろJ2に落ちてしまえば戻ってきてくれるんじゃないかとさえ思った。


それを乗り越えた結果、首位に立っていた。

「優勝したらその賞金で松田を・・・・」
なんて、冗談のような本気のようなことを呟いた。

私は井原さんが赤いユニフォームを着てスパイクを脱ぐことになったのを
未だに許せてはいない。

初めて好きになった選手。
川口能活と共にマリノスファンになったきっかけの人だった。


そして再び同じ過ちを犯してしまうのである。

ただし、もっと状況は悪かった。

彼が「マリノス」としてのほとんどの歴史に携わってきたこと、
歴史的快挙とも言えた2002年のW杯の日本のピッチに立っていたこと、
誰よりもやんちゃでサポーターにも真っ直ぐ向かってきたこと。

誰よりも長く深く横浜にかかわり続けた男だ。
ファンが入れ変わろうと、フロント・スタッフが変わろうと、
それをずっと、その渦の中をずっと生き続けた。
横浜の看板を背負い続けてくれた。




「絶対におかえりって迎えるから、それまでサッカーを続けて欲しい。」

12月のあの日、彼の背中にそう願った。

けれど夢は叶わなかった。


彼は帰ってこなかった。




私は練習見学やファンサと言われるものにほとんど行った事が無い。
選手にサインしてもらったこともほとんど無い。
彼と直接話したことなんてほぼ無いに等しい。

唯一サインの入っているユニフォームはファン感でマツに直接書いてもらったものだ。

なんていうか、ファンサって呼ばれるものは気が向かない。
選手に悪い気がしてしまうのだ。特に横浜の場合。

直接彼に聞いてみたいことがあったりもしたが、なんていうか、
彼の言葉は全てピッチに有るような気がしたから、別にそれで良かったのだと思う。

一番身近で、だけどちょっと遠い存在。



人の感情は互いの共通点が多い分だけ伝染するから、
横浜や代表で一緒に戦ってきた仲間が目を真っ赤にして彼の話をするのも、
彼を愛したサポーターやファンが涙を流すのも、山雅にかかわる人達も、
みんなの悲しみの分だけ、余計に悲しい。

愛というのは、同じ分の重さの悲しみにも変わるものだ。



土曜日の柏戦。

走っても届かない。
蹴っても繋がらない。

ここにいるはずの誰かを探してるようなプレーだった。

本当、俊輔が壊れてしまうんじゃないかと思うような、
みんな、今まで見たことの無い横浜の姿を見た。

マツはなんていうかな。

「おい!なにやってんだよ!」

「みんな、俺のせいでごめんね。」

「俺の分まで頼んだ!」


いろんな彼の想いが降ってくる。そんな気がした。



だからもう、優勝するまで泣かないと決めた。
あいつが悲しい顔で空から見てるなんてダメだ。

選手が見失いそうになったら、ゴール裏から気付かせなくちゃいけない。

あの魂が横浜のピッチに、胸に付いた星に宿ってるんだってこと。

だって、今横浜にいるほとんどの選手より沢山、松田直樹の事みてきたでしょ?


4つ目の星を松田直樹の名前と共に横浜に刻みたいから。

辛いことだけど、それしか道がないのだから。



山雅の人達には申し訳ないことだが、
未だに緑のユニフォームを着た松田直樹を見るのは嫌だ。
横浜や代表以外から松田のチャントが歌われるのも嫌だ。
正面きって「横浜の3番 松田直樹」と言えないことが本当に苦痛だ。

けれど心から彼を迎えてくれて、愛してくれて、悲しんでくれて。
こんな少ない時間じゃ彼の良さなんて少ししか見られなかったかもしれないけど、
どうか気に病まないで欲しいなと思う。

運命と言うものがあるとしたら、本当に残酷だ。


柏や桜はじめ他のチームからもあんな風に送ってもらえたことは
ちょっと誇らしいし、みんなに愛されてたというのは自分のことのように嬉しい。

やっぱりサッカーファミリーというのは”そういうもの”なんだと思う。


彼が書き続けた物語は誰にも真似出来ないような、
とんでもない物語として結末を迎えた。

それを読んだ人々が、共に書き続けた人々が、
これからもその物語の続きを未来につなげるように
沢山の人から人へ渡って行けばいいと思う。



とっても悲しいけれど、進まなきゃ。

もしかしたら世界のどこかで走ってるのかな、なんて。
松田直樹が死んだなんて、私は絶対に受け入れない。
遠くに行ってしまっただけなんだって。


たとえ見えなくてもいつも近くにいるんだって、あの人に教わったから。

辛くても。

感じることができなくても。

優勝して彼女とも一緒に喜びたいしね。



最後に見たのが横浜の試合だったなんて、切ないけれど嬉しいね。
こんなに早くいってしまって、後悔する事も沢山沢山、山のようにあるけれど。
新しい記憶や記録は残していくことができなくなってしまったけれど。

これからは全ての松田直樹愛する人々が、松田直樹を生かし続けるから。


本当に横浜を好きでいてくれてありがとう。
最後まで闘ってくれてありがとう。
沢山の思い出をありがとう。

今度会えるのは10年か20年かもっと先か・・・いつかは分からないけれど、
それまで横浜の選手を見守ってください。
これからも一緒に闘ってください。

あ、あとそっちに私達の大事な仲間がいるので、
こっぴどく叱られてください(≧∀≦)

たぶんカンカンだよ。「ちょっと!早いよ!!!」って。




今までもこれからも、私は松田直樹が一番大好きだ。
そしてあなたが愛してくれた横浜をこれからも一生愛し続けます。


あなたは、幸せだったと言ってくれますか?